裏彩色―技法について―

が生れた島根県松江市では、冬は鼠色をした重苦しい雲が辺り一面を覆い、頬と耳だけが津田蕪(赤蕪)の様に真っ赤に染まります。そのため、この地域を裏日本と呼ぶことがあります。一度でもこの冬を過ごした経験のある人は何となく納得してしまいます。私がこの「うら」から東京のある表日本へ出てきてから40年が経ち、すっかり表での生活も馴染み、冬の空といえば澄切った青空が当たり前のようになりました。しかし、ふと雨がしみこむ寒い日には裏日本が蘇ることがあります。
 東京藝術大学大学院では保存修復技術(日本画)に進み、古画の模写と修理、表具を学びました。教室は地下にあり、重苦しい雲が辺り一面覆っていました。しかし私はここで、心の芯まで真っ赤に染まるような感動的な授業を受け、線の引き方から絵具の溶き方まですべての基本を教わりました。そのなかで最も興味を持ったのが、平安、鎌倉期の絹本に描かれた仏画が、「うら」からも彩色されているということでした。私はこの裏からの彩色を、何とか自分の制作にも活かせないかと考えました。そのとき、古田氏(人間国宝)によって漉かれた、1,8匁の薄美濃紙に出会いました。
この和紙は絹と比べると、はるかに脆弱で扱い辛いものでしたが、天女の羽衣の様に薄く美しく、裏からの彩色には最適なものでした。こうして、裏から7割、表から2割描き、残りの1割は自然が育ててくれるという技法が仕上がりました。
 2年前、和楽の美企画公演、坪内逍遥原作の新曲「浦島」の舞台美術を担当する機会に恵まれました。世界初演の和風楽劇の舞台です。マルチ人間の逍遥は日本初の和洋折衷楽劇の台本を書き、世界に通用する高い志を持っていました。逍遥の描く浦島太郎は日本人特有の美徳の一つである、父母への恩を決して忘れることのない人間として描かれていました。この「浦島」の舞台美術も大いに「うら」を意識して行いました。
 「うら」という言葉を辞書で引いてみると、占 末 浦 裏 己という漢字がありますが、最初に出てくる漢字は、心という字です。つまり「うら」とは「こころ」「おもい」という精神性を意味する言葉だったのです。このうらにこめられた思いを、絵によって表現することができたら、うらに縁のある人間にとって幸せなことだと思います。